沿革
桜蔭学園沿革
元号 | 年 | 月 | 沿 革 史 |
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大正 | 13年 | 3月 | 東京府知事より桜蔭女学校設立許可 本校は、東京女子高等師範学校(現、お茶の水女子大学)同窓会社団法人桜蔭会の創立による。 |
4月 | 第1学年100名(学級数2)にて授業開始 | ||
15年 | 4月 | 5年制高等女学校設置認可・創立記念日 | |
昭和 | 3年 | 4月 | 生徒数500名(学級数10)となる |
5年 | 3月 | 財団法人桜蔭高等女学校設立 | |
12月 | 生徒定数750名(学級数15)認可 | ||
6年 | 3月 | 校歌制定。作詞東京女子高等師範学校長吉岡郷甫氏 作曲東京音楽学校教授信時潔氏 | |
6月 | 校長後閑キクノ氏逝去 | ||
9月 | 宮川ヒサ氏第二代校長に就任 | ||
9年 | 12月 | 創立10周年記念式典挙行 | |
15年 | 4月 | 生徒定員1000名(学級数20)に増加 | |
20年 | 4月 | 太平洋戦争の空襲により全校舎の4分の3を焼失 | |
22年 | 3月 | 桜蔭高等女学校専攻科(国・英)設置認可 | |
4月 | 学制改革により桜蔭中学校(450名9学級)設置認可 | ||
23年 | 3月 | 桜蔭高等学校普通科600名設置認可 校長宮川ヒサ氏退職 | |
4月 | 水谷年恵氏第三代校長に就任 | ||
24年 | 4月 | 創立25周年記念式典挙行 | |
25年 | 3月 | 桜蔭高等学校専攻科廃止 | |
26年 | 1月 | 学校法人桜蔭学園設立。理事長・水谷年恵氏 | |
29年 | 11月 | 創立30周年記念式典挙行 | |
34年 | 7月 | 群馬県北軽井沢に浅間山荘落成 | |
保谷市にひばりが丘運動場完成 | |||
35年 | 4月 | 中学校生徒定員600名に増員 | |
37年 | 4月 | 4号館新築落成 | |
39年 | 11月 | 創立40周年記念式典挙行 | |
45年 | 11月 | 5号館新築落成 (体育館・温水プール等) | |
46年 | 4月 | 中学校生徒定員750名に増員 | |
47年 | 3月 | 理事長・校長 水谷年恵氏退職 | |
4月 | 木村都氏第四代理事長・校長に就 任 | ||
48年 | 6月 | 浅間山荘管理棟増築 | |
7月 | ひばりが丘運動場更衣棟新築 | ||
49年 | 4月 | 高等学校生徒定員750名に増加 | |
11月 | 創立50周年記念式典挙行 | ||
54年 | 4月 | 3号館改築(第二体育館・普通教室等) | |
58年 | 7月 | ひばりが丘運動場隣接地購入 | |
59年 | 3月 | 理事長・校長 木村都氏退職 | |
4月 | 赤星秀子氏第五代理事長・校長に就任 | ||
11月 | 創立60周年記念式典挙行 | ||
63年 | 1月 | 桜蔭学園隣接地に新講堂新築落成 | |
平成 | 2年 | 3月 | 理事長・校長赤星秀子氏退職 |
4月 | 青柳萬里子氏第六代理事長・校長に就任 | ||
5年 | 5月 | 浅間山荘新棟落成 | |
6年 | 11月 | 創立70周年記念式典挙行 | |
7年 | 5月 | 5号館改築並びに特別教室棟竣工 | |
9年 | 3月 | ひばりが丘運動場管理棟新築 理事長・校長 青柳萬里子氏退職 | |
4月 | 膳惠子氏第七代理事長・校長に就 任 | ||
11年 | 9月 | コンピュータ教室完成 | |
11月 | 創立75周年記念式典挙行 | ||
14年 | 3月 | 新校舎建設のため文京区立旧元町小学校を借用 | |
15年 | 11月 | 新校舎西館竣工 5号館を東館と改称 | |
12月 | 旧元町小学校より学園に戻る | ||
16年 | 3月 | 東館の隣接地に別館新築 | |
11月 | 創立80周年記念式典挙行 | ||
20年 | 4月 | 西館に新コンピュータ室完成 | |
21年 | 3月 | 理事長・校長 膳惠子氏退職 | |
4月 | 佐々木和枝氏第八代理事長・校長に就任 | ||
11月 | 創立85周年記念式典挙行 | ||
25年 | 6月 | 浅間山荘新食堂棟落成 | |
26年 | 11月 | 創立90周年記念式典挙行 | |
29年 | 3月 | 理事長・校長 佐々木和枝氏退職 | |
4月 | 齊藤由紀子氏第九代理事長・校長に就任 | ||
令和 | 元年 | 11月 | 創立95周年記念式典挙行 |
3年 | 8月 | 東館建替着工 | |
5年 | 9月 | 東館竣工 | |
6年 | 4月 | 創立100周年記念式典挙行 |